感動ひとつ下さい?
ちまたでは、映画の宣伝や本の帯に「感動の〇〇!」と言う文字を良く見掛けます。
先日友人が「最近なぁ、感動することがないねん」歳のせいかな、とぼやいていました。
「映画見ても、本を読んでも・・・あかんねん感じない」
そういえば、僕も映画や本で本当に感動しているのだろうか?と思いました。
僕も感動物語の映画や本は好きですが、時間がたつと細かいシーンをよく忘れます。
テレビでロードショーを見ていると、家族に「これ前に映画館に見に行ったやろ」と
突っ込まれ、「なんか一度見たような気がするわ」と返事する始末。
まるでカラオケのサビの部分でようやく「ああこの歌しってる」と気が付くレベルです。
しかし、実体験で感動したことは、昔のことも昨日のように思い出せます!!
感動=感情?ではないですよね。
感動とは、辞書によると 深く感じて強く心を動かされること、とあります。
感情とは、喜んだり、怒ったり、悲しんだりする心の動き、とあります。
個人差はあるのでしょうが感動する為には 「深く、強く」が大切みたいです。
例えば、「ショッピングで欲しかった物を手に入れ感動、海外の贅沢なホテル泊まって感動、
美味しい料理をたべて感動、コンサートや映画鑑賞して感動」
たまに「むっちゃ感動した~」と毎日口癖のように使われる人がいますが、
「むっちゃ嬉しい、むっちゃ楽しい、むっちゃ悲しい、むっちゃ腹立つ」の感情レベルでしょうね。
これらは、自分の欲求を計画的に満たせた感情の満足感でしょう。
次はそれ以上の上物を求めてしまい、いつか忘れてしまうと思うのです。
しかし大切な人とかが付くと、決して忘れません・・・深く・強くがあります。
深く感じて、強く心を動かされる事ですか・・・・・・あった!
先日一生忘れることの無い強く心動かされる、出来事がありました。
ウチの次男坊(中3)が所属する中学校の野球部が春の兵庫県予選大会で
優勝し、近畿予選大会に出場できました。
惜しくも、全国大会には出場できなかったのですが、本当にみんなよくやりました。
実はこのチーム、子供たちは仲は良いが、おとなしい。覇気が無い。打てない。
のアカン方の 3拍子そろったチームでした。
このままではいけないと、強化ために、保護者の野球経験者、OBの方
なども練習に協力し、そして子供達が必死に練習した結果、見事栄冠を手にしました。
「アカンたれが、よくぞここまで頑張ってくれたと」 関係者全員で感動してうれし涙を
流しました。
勝ち進んでいくうちに弱虫君が 大きく、たくましく、お兄さんになったなぁ~ と感じます。
そして僕のMAX感動のシーズンが始まります。
負ければ引退の集大成。
7月7日土曜日から高校野球選手権大会の兵庫県予選大会がスタートします。
僕は長い年月が経った今も、走馬灯のように当時の映像が浮かんできます。
25年前の選手権大会兵庫県予選大会 準決勝 (明石市民球場)
僕らは、当時新聞でも3年連続夏の甲子園出場が期待されていたチームでした。
しかし結果、僕達のチームは大番狂わせで、あっけなく ベスト4で敗退。
明石球場の砂煙が舞うグランドで膝から崩れ落ち、初めて涙が止まらなかった、
そんなシーンです。
厳しい練習について行く為、必死に努力した日々、怒号や罵声が飛ぶグランドで
屈辱、挫折、絶望、希望を抱きながら、毎日トレーニングに励んだ最後がこれでした。
それから10年ぐらいは、振り返りたくない出来事でしたが、何故かたまに脳裏を
よぎっていました。嫌なはずなのに・・・・・思い出す。
その答えがわかりました、僕はあの日、あの敗戦で感動していたという事。
負けはしたけれどそれまでの努力を無駄にせずやり終えた。戦えた。やりきった。
あの日の 止まらない涙の中に、悔しさだけで無く、その感動は確実にあったようです。
兄貴より野球が下手で、すぐ辞めてしまうと思っていた次男坊が、中学野球とはいえ
僕のはたせなかった県大会優勝を成し遂げてくれました。本当に感謝です。参りました。
久しぶりに鳥肌が立つほど感動しました。
人は自分なりに努力や苦労をした分、一生物の宝のような感動を得ることが出来る。
そして感動を与えてくれた周りの人々に、心から感謝できるという事。
感動や感謝が多いほど幸福という事で、話は締めておきます。
すみません感動ひとつ下さい~店に売ってませんよ~
みなさん幸福はお金では買えませんよ~宝ですから。
藤田でした。