神戸から被災地へ
久々にブログを書きます。
このところ忙しさを理由に、筆無精になっております。
弊社の場合は、スタッフブログが更新されていない時は繁盛期。
更新が多い時は、余裕がある暇な時期と勝手に分析している。
藤田です。
あれから1年か・・・・・
その日、私はキッチン開発の打ち合せで、プロダクトデザイナーAさんと
協力工場のSさんの3人で、大阪のど真ん中のビルで打ち合せをしていました。
揺れてない?揺れてるような?過労気味で目まい? 久々やばい?
と3人でビルの外に駆け出しました。
奈良県民のSさんは、出遅れてましたが・・・・
我々兵庫県民は、地震が起きると「ヤバイ」と17年前の事を
思い出し、テーブルの下にもぐるのか、それとも道路の真ん中まで逃げるのか
とっさに反射神経で考えるようになっているみたいです。
その時はビルを自分でで設計したAさんが、
「このビル大丈夫、奥へ入って」と即答。
「M10クラスまでは大丈夫や~」
今思うとその数値はどこからでたのか?
前の高層ビルが倒れたらヤバイからね。構造上自信はあるからと、さらりさらり。
地震は数分でおさまり、打ち合せを最後まで続けました。
まさか・・・・・・
帰りの高速道路で、ラジオから関東・東北地方で津波の情報を知り
そのときは、これほどまでの被災になるとは思わず。
事務所六甲アイランドやから津波・液状化と不安になり、携帯電話でスタッフ
に強制帰宅を促しました。
あれから1年、テレビではワイドショーが、占い師が誰かを洗脳したとか、
出来ちゃった婚が何人目とか、電力の値上げを・・・・・
なぜ、復興支援の情報番組を、毎日少しでも継続できないのでしょうか?
瓦礫が減った→道がついた→お店が開店した→全国に販売します。
→被災地復興テレビショッピングでもJP・Tの社長が
ライブでやってくれへんやろか?
全国の各家庭から、そんな協力は出来そう。
募金だけではなく、被災地自立の応援!!
本当に大丈夫か?日本と思ってしまう。
17年前のあの朝、恐ろしさで目が覚めたが、山側なので自宅倒壊は免れた。
朝8時前、浜手に出る為、車で向かうが六甲山を越える有料トンネルの
係りのオジサンが見当たらない、どころか対向車が1台も走ってこない。
六甲山を下っていくと異様な光景が目の前に広がる。
六甲新大橋に車を停めて 神戸の街を見る。
街は火の海、何かミサイルでも打ち込まれたのではないかと、思うほど。
なんでやねん・・・と叫びながら、火の中、親族の元へ車を走らせていました。
神戸は瀕死の重態、意外と大阪、姫路は平常通りの生活が続く。
数十キロ離れるだけでこうも違うものなのか?運命で片付けていいのか?
周りの街が健康で、早期復興が出来たことは本当に助かった。
などと、いろいろと思い出します。
1.17 AM5:46 M7
3.11 PM4:46 M9
私達は、この悪夢のような瞬間を忘れずに生きて行かなければならない。
1.17の神戸
3.11の福島
今回、被災された方々へ
絶対に 春の来ない冬はない。
大空を見上げ、一歩一歩、着実にすすむだけでいい。
無理をせず。
いっしょに乗り越えましょう。
神戸 から 毎日気にしています。
長文で失礼いたしました。